社会不安障害と自覚するまで 社会人編①人生の転機
こんにちは。ねこやです。
躁うつ病と診断されてから半年後、大学を卒業し無事に就職した私は、窓口のある課に配属されました。
毎日大変忙しく、残業が当たり前という職場でしたが、先輩や上司に恵まれなんとか業務をこなしていました。
窓口よりも事務仕事が主な業務だったのが救いでした。
しかし、就職後も社会不安障害の症状は私を苦しめました。
残業中緊張する
ある時、残業している人が私を含めて3人だけという状況になりました。
隣の席の先輩たちと私です。
日中は来客や窓口でざわざわとしている職場が、急にパソコンの音しかしなくなり、その事実にハッとし緊張して仕事に集中できなくなりました。
何度も口の中に唾がたまってきて、最初はなにか音を出して唾を飲み込む音をごまかしていましたが、だんだんと追い込まれていきその場にいるのに限界が近づいてきました。
急に椅子から立ち上がり、走ってトイレに駆け込んだ私は、激しい動悸に襲われていました。
デスクで昼食が食べれない
社会人になり再び昼食問題が発生しました。
大学では昼食を適当に済ませたりアパートで食べたりしていたため、それほど不便ではなかったのです。
昼食はデスクで食べるのが基本で、食べる音が周りに聞こえないか緊張しました。
しかも、2メートル先には窓口があるという状況で、心が休まりませんでした。
窓口があるため、お昼の時間といっても静寂というわけではありません。
それでも、周りに人がいる状況で食べるという行為に耐えきれませんでした。
食堂もありましたが、食堂で食事をすることは社会不安障害の私にとってデスクで食べるよりも辛いことです。
外に出て食事ができる場所を探しましたが見当たらず、最終的に車の中で食べるということに落ち着きました。
夏は暑く冬は寒い車内は不便もありましたが、職場で唯一リラックスできる場所でした。
人生の転機
社会不安障害の症状がありながらもなんとか仕事をこなして社会人3年目を迎えましたが、いよいよ人生の転機が訪れます。
3年目になり、仕事内容が変わり窓口業務が大幅に増加したのです。
今までは一日に数回あるだけでしたが、新しい仕事では一時間で数回、一日に何十件もの窓口業務をしなければいけなくなりました。
また、人間関係も最悪でした。
同じ仕事をする先輩とうまくいかなかったのです。
個人のことを悪く言うのは避けますが、仕事を教えないというパワハラがありました。
先輩自身が忙しかったということもありますが、前提としてこのぐらいの仕事ができて当然だと思われていたのではないかと思います。
仕事をどう進めてよいかわからず、混乱しながらも窓口業務を行い事務が滞る、という悪循環を繰り返し、毎日夜遅くまで残業し日付を跨ぐこともありました。
1,2年目の時も残業はありましたが、周りの人たちが相談に乗ったりアドバイスをしてくれたおかげで乗り越えてきました。
しかし、新しい業務では仕事を教えてもらえない、手伝ってくれない、相談できないという状況で、一人ですべてやらなければならないと一杯一杯になってしまったのです。
一週間休む
自分なりに頑張っていましたが、身体に限界が来た私はとうとう会社に行けなくなりました。
家にいても仕事のことばかり考えてしまい、明日会議があるのに申し訳ない、自分はダメな人間なんだ、仕事を辞めたほうがいいのでは…と思い始めます。
友人に説得されてなんとか思いとどまりましたが、長らく行っていなかった病院では適応障害と診断されました。
その後、カウンセリングを受診し仕事や先輩との関係について相談しますが、なかなか改善はしませでした。
異変が起こる
9月ごろになり、まず異変を感じたのは外食をしたときでした。
友人と食事をしていて、妙に周りの視線が気になるようになったのです。
今まで何度も行ったことのあるお店なのに、隣の席との距離が近く感じ、食べている所を見られている気がしました。
会話に集中できず緊張し、うまく食べれずこぼしたり、顔が赤くなるようになりました。
自分でもどうして緊張するようになったのかわからず、最初は個室や角の席を予約していましたが、次第に断るようになりました。
その後も様々な変化が起き始め、おかしいと感じた私はついに「自分は社会不安障害なんだ」と自覚します。