社会不安障害と自覚するまで 高校編①不登校となる
こんにちは。ねこやです。
今回から高校生の頃のお話をしていきたいと思います。
私は、田舎の2クラスしかない中学校から、8クラスもある大きな高校へと進学しました。
そこそこの進学校で、周りはいろいろな中学校のトップの人たちが集まってきます。
私も中学までは上位にいましたが、早々に上には上がいるということを理解しました。
また、私は今まで小中とほとんど顔ぶれが変わらず、なんなら保育園の時から一緒にいた仲間たちと過ごしてきました。
クラスに知り合いは一人もおらず、一から友達を作るということ自体初めてに近い状態だったのです。
活発な性格ではなかった私は人づきあいが上手くいかず、広く浅くの関係を築いていました。
トラウマの出来事
ある日、今でもはっきりと覚えている、トラウマの出来事が起こります。
一人の友達とお昼を食べていると、突然「食べている音が大きいね」と言われました。
友達は特に悪気があって言ったわけではないと思います。
高校に入ってから、昼食は校内の好きな場所でお弁当や購買などを食べるようになったおかげで、お昼の時間が緊張するということはありませんでした。
しかし、この一言で「やっぱり私はごまかしきれていなかったのだ」、と分かったのです。
今まで、給食中に神経を使いながら食べていて、誰にも指摘されることがなかった食べる音。
実はほかの人も変に思っていたに違いない、緊張していることがばれていないと思っていたが無駄だったのだ、と愕然としました。
この出来事が原因で再び私の社会不安障害の症状が現れるようになりました。
そして、次第に周囲に劣等感・疎外感を感じ、勉強も人間関係も悩むようになった私は、高校一年生の終わり、ついに学校に通うことができなくなったのです。
不登校となる
ある日、朝起きることができなくなった私は、そのままずるずると休むようになりました。
不登校となったのです。
最初はおなかが痛いなどと嘘をついていましたが、何日も休むとさすがに親は不審に思うようになりました。
父は私が寝ている布団をめくりあげ、大声を上げながら怒鳴り散らします。
母は「どうして…」と言いながら静かに泣いていました。
完璧で優等生だった子どもが不登校になるという現実は受け入れがたかったことでしょう。
しかし、自分でもどうして学校に行けなくなったのかよくわからなかったのです。
毎朝親とけんかして、昼過ぎまで寝たあと、パソコンで動画を見たり、テレビを見る毎日。
そして、親が仕事から帰ってくる前に自分の部屋に行き、寝静まってから再び起きるという日々を繰り返します。
しばらくすると、親は無理に私を起こすことはなくなり、「今日も行かないの?」と悲しむようになりました。
お父さん、お母さんあの時は本当にごめんなさい。
保健の先生との出会い
そんな時、保健の先生との出会いが私に希望をもたらしました。
保健の先生は電話で、「大丈夫?家ではどんな風に過ごしているの?」と優しく問いかけ「学校の裏側に保健室があるから、いつでいいから来てね」と言ってくださいました。
電話をもらってようやく何週間ぶりに学校へ行った私は、保健室登校となりました。
病院を渡り歩く
保健の先生からいくつか病院を紹介してもらいましたが、なかなか自分に合う病院は見つかりませんでした。
大学付属の病院やクリニックなど3,4件ほど通い、やっと話しやすい先生と出会いました。
今でも大変お世話になっています。
この時、何度か診察していく中で、不登校になった原因は明確にはわかりませんが、
初めて「軽度の社会不安障害の疑いがある」と診断されました。
不安をやわらげる薬などを処方されましたが、自分ではそのような病気があることを知らず、なんとなくそうなのかな?と思っていました。