最愛の父との別れ
こんにちは。ねこやです。
今日は私の人生を語るうえで欠かすことのできない父についてお話します。
父は私が22歳のときに亡くなりました。
私の父は亭主関白で昔ながらの頑固な性格でしたが、いつも子どものことを第一に考えてくれる人でした。
学校の発表会や運動会などの行事は絶対に参加し、写真が趣味の父はカメラマンに混ざって写真を撮ることもありました。
クラスのみんなから顔を覚えられるほどの有名人で、友達から「今日もまたお父さん来てるね」と言われて、恥ずかしさと誇らしさが入り混じっていたのを覚えています。
休みの日は旅行にもよく連れて行ってくれて、車で日本全国の色々な場所へ行きました。
父と同じで頑固で負けず嫌いな一面があった私は、口喧嘩をして衝突することも多かったですが、世の中のことや進学のことなど相談するのはきまって父でした。
公務員として働いていた父に憧れて、私も中学生の頃から自然と将来は公務員になりたいと思うようになりました。
高校生の時私が不登校になると、父は大変怒りました。
毎朝大きな声で部屋に怒鳴りこんできて、無理やり布団をはがし、窓を開けて冷たい外の空気を入れました。
何度も根気強く学校に行かせようとしましたが、当時の私はどうしてわかってくれないのという気持ちになり、殻に閉じこもってしまいます。
しばらくして父も疲れたのかうるさく言わなくなり、私の様子を伺って話しかけるようになりました。
なんとか保健室登校ができるようになってからは毎朝車で送り迎えをしてくれました。
あの頃は当然のように思っていましたが、今思うと感謝しかありません。
無事に高校を卒業することができて本当によかったです。
大学生になった私は一人暮らしをするようになり、両親は遠いのに何度も車で様子を見に来てくれたり、頻繁に仕送りをしてくれました。
編入学をして4年制大学に入学できた頃には、高校であんなことがあったけど、なんとか両親に恩返しができたかなと思ったものです。
しかし、悲劇は突然訪れます。
父が癌であることが分かったのです。
健康診断もろくに受けていなかった父は、癌だと発覚した時点で既に4段階あるうちのステージ 3まで病気が進行していました。
下から数えて2番目です。
すぐに入院し抗がん剤治療が始まり、一時は回復したかに思えましたが、ほかの場所に転移しており、再び入院することになります。
入院中に私の仕事の内定通知がありました。
父と同じ職場に見事合格することができたのです。
父に報告すると、静かに「おめでとう」と喜んでくれました。
あとで母に聞くと、いろんな人に嬉しそうに自慢していたと言います。
私は病気はすぐには治らないだろうけど、いつか一緒に働けるのが楽しみだと思っていました。
しかし、そんな私の願いも虚しく、父の病気はそのまま良くなることはなく、私が働くようになってすぐに亡くなりました。
父について、私には後悔が2つあります。
一つは、父が病気になってしまったのは私のせいではないかということです。
不登校になって半年ほどたったころ、父が夜遅くまでパソコンで何かを調べているときがありました。
後日パソコンの履歴を調べると、父は子どもが不登校になった時の親の接し方や子どもの心情などを深夜まで調べていたのです。
思えば、不登校になり自分のことしか見えていませんでしたが、父の顔は以前よりもやせ細っていました。
私が無事に高校を卒業するまで相当のストレスや心労があったと思います。
父が身体に異変を感じたのは私が大学2年か3年の時です。
子どもが不登校になってしまったというストレスから、病気になったと考えてもおかしくはありません。
もっと父の身体に気を遣ってあげるべきだったと思います。
もう一つは、仕事を辞めてしまったことです。
父に憧れて公務員を目指し、父と同じ職場に合格できた時は本当に嬉しかったです。
一緒に働くことはできませんでしたが、父が亡くなったあとも仕事を始めたばかりだった私は、とにかく毎日必死で働いていました。
何度も父のことを思い出し家で泣いていましたが、悲しんでばかりいられず、父のためにも頑張ろうと思っていました。
しかし、精神的に疲れ病気になった私は仕事に行けなくなり、憧れだった公務員を退職してしまいました。
父がいてくれたら仕事について相談もできたかもしれません。
私が仕事に行きたくないと悩んでいたとき、夢の中に父が現れて「起きなさい!」と言ってくれたようなことがありました。
はっきりと覚えていませんが、父だったはずです。
そんな夢にまで出てきて応援してくれた父を裏切ってしまったのではないか、という気持ちがあるのです。
私が公務員に受かったことを喜んでくれた父のために、もっと頑張れたのではないかと思うのです。
父に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もっと感謝を伝えておけばよかったな、とかやりたいことをやらせてあげるべきだったな、という後悔もたくさんあります。
花嫁姿を見せてあげることもできませんでした。
父の死から何年も経った今も、ふとした瞬間に父のことを思い出します。
後悔はありますが、これからも父を忘れることなく、自分の心に刻んでいきたいです。
以上、私の最愛の父との別れについてでした。
書いていて涙が止まらず、何度も書く手が止まりました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。