社会不安障害と自覚するまで 高校編②高校二年生に
こんにちは。ねこやです。
高校2年生に進級した私は、始めは普通に学校に通えていたものの、3か月ほど経ってまた学校を休みがちになりました。
新しいクラスで友達もできましたが、休むことが多くなると次第に友達も離れていき、ある時「なんで休んでるのにノートを見せないといけないの」と言われました。
友達が授業を聞きながら頑張ってまとめたノートです。
何回も見せてと言われると嫌な気持になるのは当然のことでした。
保健室登校となる
そして、再び不登校となった私は、保健室から授業に行くようになりました。
保健の先生はあと何回休むと進級することができなくなるか教えてくれました。
保健室には同じように保健室登校をしている人が何人かいて、一緒にぬり絵をしたり折り紙をしたりした記憶があります。
失踪
こんなことがありました。
なんとか保健室を出たものの、どうしても授業に行きたくない、教室に入りづらいと思っているうちに、チャイムがなってしまったのです。
保健室には戻りづらく、行き場がなくなった私は、空き教室に逃げ込みました。
明け方まで起きていて眠かったため、そのまま寝てしまい、授業が終わっても戻らなかったのです。
保健の先生が必死になって探してくれて、なんとか大事にはなりませんでしたが、大変迷惑をかけてしまいました。
高等学校卒業程度認定試験
2年生の秋ごろに高等学校卒業程度認定試験というものを受けてみないか、と先生から言われました。
高等学校卒業程度認定試験とは、高校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験です。
出席日数が足りなくなって、高校を卒業できない可能性があるから、万が一のために受けておいたほうがいいと言われたのです。
保健室登校をしているほかの生徒たちと何人かで受験し、合格できました。
当時は毎日必死で学校に通っていましたが、今思うと進級できるかどうかギリギリのところだったんだなあと思います。
高校3年生に
そしてなんとか3年生に進級することができました。
3年生の時が一番充実していたように思います。
2年生の時のように途中から保健室登校となりましたが、先生に恵まれ、何人か友達もできました。
編入学という選択
3年生の秋ごろになり、そろそろ将来はどうするか考えなくてはいけない時期になりました。
大学には行きたいと考えていましたが、高校1年生から不登校となり全く勉強してこなかった私が行ける範囲は限られていました。
両親はなるべく国公立大学に進学してほしいと思っていましたが、現実は厳しく悩んでいました。
そんな時、担任の先生から編入学の道があると教えてもらったのです。
2年間短期大学へ通い、その後4年生大学の3年生として編入学するという方法です。
今まで聞いたことはありませんでしたが、短期大学であれば私立大学より学費も安く、将来的に4年生の国公立大学へ進学できる可能性がありました。
それしかない!と思った私は、先生に編入学に力を入れている短期大学をいくつか教えてもらい、無事に合格し4月から短期大学へ進学することとなったのです。
高校を卒業できてよかった
改めて高校時代のことを思い出すと、自分自身どうして学校に通うことが出来なくなったのか分からず、ただただ行きたくない、クラスに私の居場所なんてない、ともがき苦しんでいました。
勉強についていけなくなったり、人間関係に悩んだりしたことが原因だと思いますが、これだけは思うのは、高校を卒業できて良かった、ということです。
あと1回授業を休むと単位を落とすといくとこまで迫られていたこともありましたが、なんとか勇気を振り絞り学校に行って、本当に良かったです。
もし、今不登校で悩んでいる人がいましたら、学校だけは卒業しておくべき、と言いたいです。